2000年参加
村上達也さんの体験記
6月4日早朝,ベングリオン空港着。眠気と疲労を引きずったまま,バスに飛び乗りテルアビブを目指す。バスの窓から目に飛び込んでくるのは,異国の景色とヘブライ語の標識。思えば何故イスラエルに来たのだろう・・・
それまでの私は日本での閉塞状態の生活に退屈と苦痛を感じていた。それを紛らわすかのように色々な国の政情や文化についての本を読んでいた時,イスラエルという国に何故か心を惹かれた。現在の日本に一番欠けているものをイスラエルは持っているような気がした。色々調べているうちに,このプログラムの存在を知り参加してみようと思った。仕事も辞め,あれよあれよと言う間にベングリオン空港に。
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| 翌日,キブツプログラムセンターへ,緊張して警察署に出頭するような気分で向かう。なぜなら私の英語力は中学生レベル以下・・・しかしセンターに着いてみるとやや拍子抜け。ブロークンな英語でも何とか切り抜け,レバノン国境に近い地中海沿いの街,ナハリヤの近郊,キブツ「ベターヘ−メック」に身を預ける事になる。 |
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イスラエルと言う国柄,危険なイメージを持っていたのだが,着いてみるとここでも拍子抜け。街もキブツもそして住人,ボランティアも皆、陽気で活気に満ちている。中東に来たと言うよりもヨーロッパの田舎に来た感じ・・・とにかくそこで私のキブツボランティア生活が始まった。
私のキブツはマネージャーがオランダ系のユダヤ人と言う事に関連してか、オランダ人のボランティアが多数を占め、後は南アフリカ,デンマーク,イギリス,ベルギー,トルコ,イタリア,韓国,アメリカなど。私のいた間は日本人は私一人で、充分英語の勉強が出来た。やはり英語の中で生活をしていると上達も早いと感じた。それでも語学と言うのは奥が深いものだ・・・まだまだ勉強は必要だが・・・ |
「ベターヘ−メック」は農業主体のキブツで、バナナ、アボガド、綿花等の栽培が主流である。ボランティアの仕事はバナナ、アボガド、食堂、ランドリー、キブツ内の医院の事務、土産用のシルクの模様のペイント、乳製品の生産そして自動車の修理工場の仕事など多種多様。かなり大規模なキブツだった。私の仕事場はバナナ農園で、朝5時起床で昼の2時半頃迄、灼熱の太陽の下、映画の「ランボー」の様なナイフを片手に仲間と農場内をトラクターやジープを転がし、走り回った。バナナの仕事は収穫、バナナの木や実の管理などで、収穫の時期には20キロ〜40キロのバナナを百十数個、ボックスに積み込む重労働。キブツ内で一番キツイ仕事だったらしいが、私は日本でも肉体労働をしていたので特に苦痛も無く、毎日楽しんで仕事が出来た。ちなみに他のボランティア達は私達のことを「バナナマフィア」と呼んでいた。(笑)
キブツは毎月3日の有給休暇の様なものをボランティアに提供してくれていて、この休暇を利用してエルサレム、死海、ガリラヤ湖、ゴラン高原、エイラット、ネゲブ砂漠へ行ったり、レンタカーを借りて国内を走り回った。異国の国、見るもの全てが刺激的で、この国の文化、歴史、そして抱える問題を自分の目で確かめる事が出来た。特にエルサレムにはこの国の抱える問題が凝縮されている様に感じた。それについては、これから多くの人がイスラエルへ行き、その目で見て感じてもらいたいと思う。
私は約6ヶ月イスラエルに滞在して、遊びの中にも色々な吸収するものを見つけたり、この国だけでなく、他のボランティアから彼らの国の「生の声」を聞いたりと、日本に留まっていては得る事の出来ない刺激や情報を得ることが出来た。ここで知り合った仲間とは今後も連絡を取ったり、彼らの国を訪ねる約束をしたりしている。
この時期パレスティナの独立問題や暴動など危険な話はあったが、キブツ内にいる限りは全く安全で危険を感じる事もなかった。英会話にしても、喋れないからと言うよりも、喋れないからこそ刺激があり、毎日が緊張感を持って過ごせたし、退屈もしなかった。新しいものや刺激に飢えている人は是非このプログラムに参加して欲しい。 |
2000年参加
伊藤美紀さんの体験記
| 私の選んだキブツはエイラットから車で20分程北に上るところにあります。テルアビブのキブツ事務所に行ったときに、北か南かの選択を強いられました。エルサレムを期待していた私は心の底で少しがっかりして、少し悩みました。「小さくて、現地の人が多い場所」その条件は両方とも満たしていて、決め手はこの一言でした。「ここは菜食主義なのよ。そして特別!」何が特別なのかなんてその時は気にもならないで、ただ「痩せるかなあ」という不純な動機でこの2ヶ月を過ごすばしょを選んだのでした。 |
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バスは都会から離れるにつれ、砂漠へと景色が移っていきます。砂丘を想像していたため、茶けた岩壁に驚かされます。 バスを降りると、キブツの方が迎えにきてくれていました。そのうちの一人レイチェルはオーバーオールを油だらけにしていて、私は一瞬怯んだのを憶えています。(後でこれは仕事着だと気づくのですが。)バス停から10分、岩の間を彷徨う道を車で進み、ようやく辿り着いたネオット・スマダ−ルは砂に埋もれているように感じました。
次の日に、茶色の世界を見せてもらいました。初めて見るオリーブに、アーモンド、樹に成るその実は、無知な私に感動を与えてくれました。この日の朝食にも。テーブルの真中に丸ごとの野菜が置いてあり、好みの野菜をサイコロ状に刻むことからみんなの食事が始まります。無心に野菜に向かう、その姿になれるまで一週間かかりました。一度試してみるともうイスラエルサラダに夢中になり、オリーブオイルとチーズ、そして卵の組み合わせに毎日唸っていました。ここで採れるものを食べるために、牛を飼育していないこのキブツでは牛乳というものはなく、代わりに山羊のミルクがありましたが、臭いが強いため飲むのは諦めてしまいました。 |
ここでの生活はボランティアリーダーのコビに大変助けられました。英語を話せない私はボランティアに溶け込むのが難しく、朝も夜も、食事の後は必ず彼のそばに座って話をしました。彼は忍耐強く会話を楽しんでくれ、当初はこの時間に救われたといっても過言ではありません。
仕事をするうちに少しずつ、自分を出せるようになります。それでも最初はパントマイムが必要で、動作が派手なのに加えて、さらに激しく伝えようとするので、「美樹は日本の女優だろう、そうだろう」と断言されてしまうことも度々ありました。みんなが笑っているときにそのジョークが分からないのは本当に虚しく、早くみんなと時間を共有したいとも感じました。幸運なことにここには日本語を学ぶ学生が一週間滞在し、彼女との会話と彼女の大学のレポートを直すことがここで生きる価値を与えてくれました。何かしら自分も人の役に立って、存在感を感じたかったようです。 |
| 仕事は簡単なものが多く、りんご、オリーブ、アーモンド、グレープ、ナツメヤシの採集や草むしり、苗植え、煉瓦作り、ビルの煉瓦積み、台所で調理、掃除、子供の世話など挙げればきりがないほど生活に必要なことを、自分たちの力でこなしてしまうことを目の当たりにし、人の可能性の凄さを感じました。私が苦手とするのは台所の仕事で、朝の集会の後6時から13時までと、夕方17時から21時過ぎと、最も拘束時間が長く、この日ばかりは寝ること以外できないほど働くことになるからです。仕事としては200人分の食器を並べたり、洗ったりすることが基本で、トマトサラダを作るときは刻むだけで1時間半もの時間を費やしました。その間、私たちは好きに歌い、おしゃべりをし、また考え事をしたりと疲れない工夫をしました。彼らは「幸せになるために生きること」を前提としているため、私の大失敗も笑って「気にしないで!」の一言で済ませられる寛大さにも文化の差を感じました。彼らが喜んで働くのが私にとってとても不思議で、尋ねると、「人のためにやってると君は思っているようだけど、自分のためにやってるんだ、毎日を充実させるために」という答えが返ってきました。一日一日を愛おしむように生きている彼らと、明日を考えて余力を残す生き方をしている私とでは大きな差がありました。 |
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このときの労働時間は、朝の集会の後6時から11時まで、17時の集会後から夕食の19時まで、さらにまれに夜の仕事があり20時から22時までと私にはとても長く感じられました。疲労を理由に夜の仕事は免除されるときもありましたが、「みんな働いているのに・・・」という罪悪感が生まれ、一緒に仕事する方が心地よいことに気づきました。明日を意識しない生き方に変更した途端、生活に張りが出てくるようになりました。そして人のためになるということは自分のためにもなると改めて認識したのでした。 |
| 思い出深い仕事はナツメヤシのカバー掛けです。5人くらいロフト付の機械に乗り込み、高さ10メートル程の実のなる場所まで上がります。ナツメヤシの葉は堅く、そして若い葉はとがった棘もありました。実が熟れるまでカバーを掛け、鳥から食べられるのを防ぐのですが、天辺にある実に達するまであの嫌な葉を丁寧に切り落とすのも仕事のうちで、慣れていない内に棘に見事にやられてしまいました。このナツメヤシは甘く、叔母に言わせると甘納豆に似ているとのことです。私たちの重要なおやつでもある変わった食べ物は、安息日にも食べることが出来ました。 |
| 金曜日の13時の昼食の後から土曜日は、いつもの汚れた仕事着から真っ白な服に着替えて過ごします。この日ばかりは女性もちょっといいドレスに身を包み、薄化粧をしてみんなの目を喜ばせます。私はあいにく白のいいものを持っていなかったため、自分なりに工夫してこの日を楽しみました。スタッフはこの日までに少しずつ用意していた料理を出し、私たちは席について魚料理が並ぶまで歌を歌ってこの日を祝うのでした。テーブルに揺れるろうそくを見つめて、仲間と過ごす時間は厳かな雰囲気でした。金曜の夜は外出することが出来、岩に上ってドラムで音楽をつくったり、火を灯して寝袋ではしゃいだり、ダンスを踊ったりして過ごしました。この日ばかりはワインも登場し、若いボランティアは少し羽目をはずすのでした。 |
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イスラエル滞在中、仲間4人でヨルダンにも足を伸ばしました。ぺトラに訪れたとき、まだ薄暗いにも関わらずコーランが流れ、便乗するようにあちこちの家々から歌声が響きわたって、こだまのようにも聞こえました。このたびで私の英語力は一気に上昇します。「美樹もメンバーの一人なんだから同じく意見を言う必要があるよ、その権利があるんだから。」英語力のせいで彼らに任せっきりだったやり方に甘んじていたためです。お互いに反発しながらも仲間として助け合わなくてはいけない、この想いが私たちを強く結びました。そしてこの経験は、強烈に私の中に残り続ける気がします。
この旅行では一瞬一瞬が未知との遭遇であり、新しい見方を与えてくれました。「頭で考えるよりも、ありのままを感じなさい。それが幸せになる第一歩だよ。」とコビはいつも話してくれました。考えることは下手をすると物事を判断する物差しに使われ、限界をつくってしまうと言うのです。私はそれを受け入れるには時間が必要ですが、彼らを見ていると、いかに人間らしく生きているか感じることが出来ます。もっと多くの人が、この体験を通して、自分のこと、日本のこと、そして恵まれた環境のことを学べたらと思います。
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